「園芸療法」にこだわらない園芸セラピストとして

植物をいじっていてホッとしたり、癒されたりする人は多くいます。

その心のなごみを今まで「園芸療法」と一に括ってきました。
もちろん一般には今でもです。

「園芸療法」は今のところ作業療法の一部だとしか認められていません。

「園芸療法」が園芸が作業による心身の改善…という定義(定義の書き方が簡略ですが)となっているので、
作業療法の枠組みになっています。

定義の中の心身のだけを分けて、園芸の方面から見るだけでなく
心理学から「園芸」をとらえ科学的に実証して、裏付けを施さなければ
「園芸療法」が作業療法から脱することはできないでしょう
ここ最近論文チェックしていないのですが

東日本大震災で丹精込めた庭を失った方(健常の方)の失意の思いを当時ニュースで聞いた記憶があります
またその後のことも。
園芸ということへの思い入れは人により、失うことへの大きさが、
たかが「園芸」
たかが「植物」
たかが「庭」ではないのですね

それを考えると園芸は「園芸療法」=作業療法でくくってしまえるのか難しいところだと思いませんか?



最近では園芸のよい影響として、コロナで疲弊した心が、人と接触しない畑で癒されたとか

昔からですが、ベランダガーデニングで植えたの花が咲いたというだけで、人間関係のモヤモヤが失せたとか

心の問題で小さなストレスや悩みが改善したという事例もあります。


ならばどうして作業療法から逸脱できないのか…

--------以下推測です
科学的に実証できないのかもしれない。個人差がとても大きいのではないかなと…

花を見て美しいと感じるか…
正の感情だけではない!

負の感情:
虫がいそうで気持ち悪い。
あの花の色嫌い。
枯れたら汚い。
花の匂いが嫌い。
蜂とか蝶とか飛んできたら迷惑。
管理ができなくて枯らすことがよくある自分を思い出して気分が悪い…など


花一つでも感じ方がこれほど違うのです。

もともとこのように感じ方が多様である植物に対し、
心というあいまいなことを科学的に実証するというのは
とても難しいことなのかもしれません




では結局「園芸療法」で心が置き去りにされてしまうのか。
だから今、そこにこだわらず必然的に作業療法だのとのくくりから脱却し、
心の問題として「園芸療法」をやりだしている部分が見え始めたのでしょうか。

それとも作業療法を必要としている方々との垣根が低くなってきたからなのかもしれません。

今の流れとして
「療法」という言葉を使わなければ治療の一環として問われないと思うのか、
心的な癒しだけに特化すると「セラピー」を使うようですね

〇〇セラピーです。

フラワーとか、ガーデンとか、グリーンとか、森林とか



私も個人的にきちんとした教育機関で心理学を学んで12年になりますけど、
どう園芸と結び付けたらよいものか考え続けていました。

そして行きつくところ私の中で出した答え。
個人差があるならその個人の好みに合わせて植物の力を借りたらいい。
心的なセラピーをするときに植物の力を借りて効果を高めたらいい。
そういう結論にしました。


ずっと「園芸療法」の心的活用について悩んでいましたが、
植物を中心として考えると困難なことも心理は結局人の心

心を中心に園芸を取り入れていく
「園芸活用セラピー」
でいいのだと納得しました。

心理学の学位もとり、専門的に「ポジティブ心理学」を学び、コミュニティーガーデンを作る構想を進めている今、「園芸活用セラピー」のできる場所づくりをしていこうと思っています。






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