都市環境緑化推進研究会に参加して
前回自分で書いたブログの内容がそのまま今日の研究会の内容とかぶった。
まだその時はこの研究会があることすらじつは知らなかった。
今日は都市環境緑化推進研究会へ行ってみた。
その道の先生方がお話下さった内容は歴史から辿り、
街路樹の現在の姿まで時間のない中でも詳細にお話くださったと思う。
☆パネリストの3名の先生方の街路樹についての課題
濱野教授
・樹種の選択
選択基準がいっぺんのその数が揃う樹種で・・・とか不具合からの消去法ではなく、
その土地の特色を生かした個性ある樹種選択。
ケヤキやソメイヨシノなど、中枝が落ちるなどの不具合もある。
住民の苦情を考えて樹種を選択?

・剪定技術の向上を図る。
画一的ということをやめにしたらどうか
鈴木助教授
・植栽スペースを作る際には歩行者の視覚的安全や、自動車から見た歩道の見やすさなどを考慮する
・街路樹については住民との合意形成が必要だろう
池邊このみ教授
・入札、発注の単年度が剪定、管理の不具合を起こす原因でもある。長期的タームで望むべき
・今の鑑賞に耐えない街路樹を見直し、美しさで地域の価値を上げられるか
☆今後のあり方
濱野教授
樹木や街路樹など緑化と人の生活との共存。
鈴木助教授
街路樹に関する人の捉え方、考え方を変える必要がある
池邊教授
美しい街路樹の樹形をビジュアルで示す。
街路樹の剪定は今ぶった斬りの鋸剪定だ。
しかも前述した通り意味のない剪定時期で、植える価値も、観賞価値も、その効用も全く度外視だ。それもこれも基本的には下記の2点によるものだと思う
・景観の価値を知らず、四季の移ろいに心をなごます豊かさのない住民の苦情回避のためだけに街路樹の剪定時期を決めている
・安値競争による剪定技術の低下と、剪定後の専門的評価がなされていないこと。ひいては行政担当者の専門知識の低さにも関わる
(全てに言えることだが)住民も街の景観は行政の仕事だと手を出さない。
行政の仕事は本来住民のすべき義務を行政が肩代わりしてくれているだけなのだ。
街の美しさを住民が担っても良いのだ。
画一的な剪定方法、一律の樹木、行政に伺いを立てなくてはいけない街路樹管理。それでは住民が街を、街路を美しくしようとなど思うはずもない。
苦情しか出ないのは行政がやるのが当然という風潮を作っているせいとも言えなくはない。
ただ住民としてはおうかがいをたて、YESをもらってから初めて花の種ひとつ撒くことができるとか、家の前の花後に乱れたツツジを剪定したいが行政がやるべきで、自分がやったら怒られそうだとか。
何のための街路樹なのか、誰のための景観なのかとか、ビジョンも、ゴールも示されていないうのは基本的なボタンの掛け違いの元である。
これは今日参加して私なりに感じたことだ。
日本の各地で、街路樹が「@@@通り」とか言ってその季節になると人を呼び、観光地化しているところがある。無理やり作ったところではなく、もともとの街路樹を美しい管理によって見る人の心をなごませ、健やかにするからこその自然発生的観光地だ。
しかし、現在の街路樹は放っておきさえすればそうなるものではない。
手を加え美しく、正しく管理するものがいればこそだ。
専門的な知識や技術も必要だろうが、何より大事なのは
今ある街路樹もビジョンさえあれば人を呼び、観光地化できる資源であると認識できるかどうかだと思う
池邊先生の言う「都市再生ブランディング」とはそういうことなのではないだろうか
ブランディングとはーwikipedia
ブランディング(英: branding)とは、顧客の視点から発想し、ブランドに対する共感や信頼など顧客にとっての価値を高めていく企業と組織のマーケティング戦略のひとつ。 ブランドとして認知されていないものをブランドへと育て上げる、あるいはブランド構成要素を強化し活性・維持管理していくこと。 またその手法。
ということであるから地域も緑化により、観光客に「価値あるものだ」と思わせることによって地域がブランド化され、価値あるものへと再生されるということなのだろう。
ぶった斬りはまるで逆の行為であるということが分かるというものだ。
美しさの面倒がブランディングによって地域再生し、街の価値を上げていく。
目先の安値で街の価値を下げるか、街の価値を上げて美しさのブランディングをするか。
今都市は、街は考えねばいけないのだろう。
まだその時はこの研究会があることすらじつは知らなかった。
今日は都市環境緑化推進研究会へ行ってみた。
その道の先生方がお話下さった内容は歴史から辿り、
街路樹の現在の姿まで時間のない中でも詳細にお話くださったと思う。
☆パネリストの3名の先生方の街路樹についての課題
濱野教授
・樹種の選択
選択基準がいっぺんのその数が揃う樹種で・・・とか不具合からの消去法ではなく、
その土地の特色を生かした個性ある樹種選択。
ケヤキやソメイヨシノなど、中枝が落ちるなどの不具合もある。
住民の苦情を考えて樹種を選択?

・剪定技術の向上を図る。
画一的ということをやめにしたらどうか
鈴木助教授
・植栽スペースを作る際には歩行者の視覚的安全や、自動車から見た歩道の見やすさなどを考慮する
・街路樹については住民との合意形成が必要だろう
池邊このみ教授
・入札、発注の単年度が剪定、管理の不具合を起こす原因でもある。長期的タームで望むべき
・今の鑑賞に耐えない街路樹を見直し、美しさで地域の価値を上げられるか
☆今後のあり方
濱野教授
樹木や街路樹など緑化と人の生活との共存。
鈴木助教授
街路樹に関する人の捉え方、考え方を変える必要がある
池邊教授
美しい街路樹の樹形をビジュアルで示す。
街路樹の剪定は今ぶった斬りの鋸剪定だ。
しかも前述した通り意味のない剪定時期で、植える価値も、観賞価値も、その効用も全く度外視だ。それもこれも基本的には下記の2点によるものだと思う
・景観の価値を知らず、四季の移ろいに心をなごます豊かさのない住民の苦情回避のためだけに街路樹の剪定時期を決めている
・安値競争による剪定技術の低下と、剪定後の専門的評価がなされていないこと。ひいては行政担当者の専門知識の低さにも関わる
(全てに言えることだが)住民も街の景観は行政の仕事だと手を出さない。
行政の仕事は本来住民のすべき義務を行政が肩代わりしてくれているだけなのだ。
街の美しさを住民が担っても良いのだ。
画一的な剪定方法、一律の樹木、行政に伺いを立てなくてはいけない街路樹管理。それでは住民が街を、街路を美しくしようとなど思うはずもない。
苦情しか出ないのは行政がやるのが当然という風潮を作っているせいとも言えなくはない。
ただ住民としてはおうかがいをたて、YESをもらってから初めて花の種ひとつ撒くことができるとか、家の前の花後に乱れたツツジを剪定したいが行政がやるべきで、自分がやったら怒られそうだとか。
何のための街路樹なのか、誰のための景観なのかとか、ビジョンも、ゴールも示されていないうのは基本的なボタンの掛け違いの元である。
これは今日参加して私なりに感じたことだ。
日本の各地で、街路樹が「@@@通り」とか言ってその季節になると人を呼び、観光地化しているところがある。無理やり作ったところではなく、もともとの街路樹を美しい管理によって見る人の心をなごませ、健やかにするからこその自然発生的観光地だ。
しかし、現在の街路樹は放っておきさえすればそうなるものではない。
手を加え美しく、正しく管理するものがいればこそだ。
専門的な知識や技術も必要だろうが、何より大事なのは
今ある街路樹もビジョンさえあれば人を呼び、観光地化できる資源であると認識できるかどうかだと思う
池邊先生の言う「都市再生ブランディング」とはそういうことなのではないだろうか
ブランディングとはーwikipedia
ブランディング(英: branding)とは、顧客の視点から発想し、ブランドに対する共感や信頼など顧客にとっての価値を高めていく企業と組織のマーケティング戦略のひとつ。 ブランドとして認知されていないものをブランドへと育て上げる、あるいはブランド構成要素を強化し活性・維持管理していくこと。 またその手法。
ということであるから地域も緑化により、観光客に「価値あるものだ」と思わせることによって地域がブランド化され、価値あるものへと再生されるということなのだろう。
ぶった斬りはまるで逆の行為であるということが分かるというものだ。
美しさの面倒がブランディングによって地域再生し、街の価値を上げていく。
目先の安値で街の価値を下げるか、街の価値を上げて美しさのブランディングをするか。
今都市は、街は考えねばいけないのだろう。
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